年表
- 一九五八年
- 八月
- 6日、石川県小松市(母方の実家)の病院で生まれる。
- 一九六三年
- 四月
- 大和川幼稚園入園。この頃、『忍者部隊月光』など忍者ブーム。生まれて初めての芝居(変装)体験は忍者であった。
- 一九六五年
- 四月
- 大阪市立敷津浦小学校へ入学。
- 一九七一年
- 四月
- 大阪教育大学附属天王寺中学校へ入学。この時の受験勉強が(2週間ではあったが)後に平成教育委員会での優等生の伏線となる。
- 一九七二年
- 秋
- このころから映画の魅力にひかれはじめる。
定期テストのときは、早く終わるのをいいことに毎日2〜3本立てを見ていた。もちろん成績は下降の一途。
- 一九七三年
- 十一月
- 中3秋の遠足は嵯我野。ここで映画を作成。内容は「ゲバゲバ90分」的なもの。あのフィルムはどこへ行ってしまったのだろう。
- 一九七四年
- 四月
- 多少の問題をかかえながらもなんとか高校進学。日本で最も長い名前の高校、大阪教育大学教育学部附属高等学校天王寺校舎。試験監督がいないなど、自由すぎるこの学校の教育方針のおかげで今の僕があるのだろう。
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- 九月
- 附高祭で1年A組の劇『壁の向こうは』上演。現在NHKで活躍する親友、堤啓介との初めての芝居体験。
- 一九七五年
- 一月
- FBS『サウンド・イン・ポップコーン』(附高放送局の昼休みの番組)が放送開始。DJの一人に。イチビリだったのか?
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- 五月
- つかこうへい事務所公演「ストリッパー物語」を堤とふたりで見てショックを受ける。そして二人を中心に演劇愛好会『劇団軟派船』結成。堤は自治会長だったので初代船長(座長)を務めることに。修学旅行中「支笏湖観光ホテル」で第1回公演「オテナの塔?」上演。どうらんを買い込みみんなで厚化粧、修学旅行最後の夜を飾る一大イベントとなった。
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- 九月
- 附高祭。第2回公演『少女仮面』上演。大盛況。
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- 十一月
- 第3回公演『青い鳥』上演。なかなかの好評を博した。
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- 十二月
- 第4回公演『どれい狩り』上演。かぜがはやっていたのにもかかわらず、満員御礼。
- 一九七六年
- 三月
- 受験勉強突入宣言。
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- 四月
- 大いなる緊張感とともに高3に進級。高校生活最後の一年を悔いのないものにしようと決心。残り時間を考えると人生が輝いて見える、そんな感じ。
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- 九月
- 最後の附高祭。『劇団軟派船』の第5回公演は、念願のつかこうへい作品『出発』。
- 一九七七年
- 一月
- 高3有志によるラグビー大会に参加。右ロック。グラウンド・コンディションが悪く、泥まみれになる。高校生活の終わりを実感。
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- 二月
- 涙の卒業式。
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- 四月
- 京都大学文学部に入学。しかし、その前に『劇団卒塔婆小町』に入団。
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- 六月
- 第2回公演。つかこうへい作品『郵便屋さんちょっと』(京大西部講堂)に参加。ピンスポットを担当。
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- 十二月
- 第4回公演、唐十郎作『少女都市』(京大西部講堂)にて初舞台。新人公演ながらヒーローの役。このときから芸名『つみつくろう』を名乗る。
京大体育会の「オープンスキー」(ツアー)に初参加。以後毎年冬休みと春休みはスキーと相場が決まる。学生時代は、それが演劇以外の唯一の趣味、唯一のぜいたくであった。
- 一九七八年
- 四月
- 一乗寺の、今はなき「京一会館」(京都の学生なら誰でも知っていた一味違う映画館)の近くにアパートを借り、初めての一人暮らしを始める。6畳一間、キッチン、トイレ付き、共同コインシャワー有で28000円。ただし北向きの一階。それでも当時としてはリッチな生活であった。
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- 五月
- 路線の対立から、先輩たちが全員退団。新生『劇団卒塔婆小町』として、1、2回生だけ12人で再スタート。このときから全面的に制作を受け持つ。
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- 十一月
- 京大十一月祭でつかこうへい作『熱海殺人事件』を上演。初演出。くわえ煙草の木村伝兵衛部長刑事の役作りのため、煙草を吸う練習をして、気分が悪くなる。
- 一九七九年
- 四月
- 自動的に専門過程にすすむ。フランス文学に憧れていたものの、教養課程でのフランス語の単位をまるっきり取れておらず、恥ずかしくて断念。喜志哲雄教授のもとでシェイクスピアを学ぼうと英語学英文学を専攻することに決める。
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- 六月
- 大阪に進出。阪急ファイヴ・オレンジルームで『熱海殺人事件'79』を上演。芝居にヴィンテージをつけたのは本邦初であろう。観客動員数1000人を突破。関西一の人気劇団となる。
公演後『劇団そとばこまち』(この頃からひらがな書きとなる)の座長に就任。
- 一九八〇年
- 三月
- 3回生終了。しかしこの年の取得単位はついにゼロ。大学の中退をついに本気で考える。
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- 十月
- 自動車の運転免許証は取得。
- 一九八一年
- 五月
- 京都のど真中、烏丸御池に百人収容のアトリエを構える。大学はほとんどそっちのけで劇団の経営に獅子奮迅。
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- 十二月
- 安田光堂のオリジナル作品『猿飛佐助』(オレンジルーム)をプロデュース&演出。観客動員数2000人を突破。初日の公演中、主役の一人霧隠才蔵が鼻骨を骨折。公演の中断を余儀なくされる。満員のお客さんの前で土下座。
- 一九八二年
- 二月
- 「第1回オレンジルーム演劇祭」に、受験生たちの青春群像を描いた問題作『明日にむかってすべれ』(橋本孝作・つみつくろう演出)を出品。圧倒的な支持を得てグランプリを受賞する。絶頂期。
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- 六月
- 第1回キャビン85小劇場『オズの魔法使い』をプロデュース&ドラキュラ役で出演。おそらく小劇場としては日本で初めての冠公演(スポンサーの企業名や商品名がタイトルについたもの)も大成功。
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- 八月
- 東京公演を敢行。西武池袋店の「スタジオ200」にて安田光堂作『太陽のそばの十二月』を上演。コロンブスの役で東京デビューを飾るも、初めて赤字を出してしまう。
- 一九八三年
- 三月
- 6回生での卒業を目指したが、取りこぼしがあり留年が決定。生まれて初めての挫折を経験。
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- 十月
- 吉本興業と提携して、今はなき「京都花月」で、通常の公演終了後の、ナイトシアターを企画、大成功をおさめる。演目は、つかこうへい作「ストリッパー物語」。ヒモの役を演じる。9年前に見て芝居を始めるきっかけとなった思い出の作品が、期せずして『劇団そとばこまち』における最後の作品となる。
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- 十一月
- NHKの朝ドラ『ロマンス』のオーディションにチャレンジ。4度東京に通い、ついに大役を射止める。最大のターニングポイント。
- 一九八四年
- 一月
- お正月を返上して、卒論「アマデウスの研究」をでっちあげる。試験日は『ロマンス』の撮りと重なっていたが、教授の粋なはからいで、レポートにしていただく。
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- 三月
- 京都大学の卒業式。しかし撮影のため出席できず、実感はなし。とにもかくにも7年間の大学生生活に終止符を打つ。
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- 四月
- 『ロマンス』が始まる。香木真之助役。プロの役者としてスタートするも、学生気分が抜けきらず。
- 一九八五年
- 一月
- 『少女に何が起ったか』(TBS)に出演。音楽大学のピアノ教師、大津先生の役。桐朋学園のピアノ科の練習室などで、ショパンの「革命」などの猛特訓を受ける。ただしピアノのふたはしめたままであった。
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- 四月
- 26歳で結婚。あまり人気が出てしまうと結婚できなくなると思い、デビュー1年で決行。けっこう賢明な判断であった。
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- 十月
- 16日、阪神タイガース、 21年ぶりの優勝!京都で狂気乱舞。
- 一九八六年
- 四月
- 火曜サスペンス劇場、松本清張作『夜光の階段』(日本テレビ)に主演。初めてのキスシーンを経験。初めて人を殺してしまい、初めて自分も死ぬ。
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- 七月
- デビュー以来お世話になった『41工房』から、『矢島聰子事務所』に移籍。素晴らしい出会い。おばさんパワーに引っ張られ、挨拶まわりなど一から出直す。
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- 十月
- 『ドキド欽ちゃんスピリッツ』(TBS)のレギュラーに。『明治鉄道物語』のコーナーに京都のぼんぼん役で出演。自分はお笑いには向かないと信じこんでいたため、精神的にはとても辛い半年間であった。しかしその間、大将(萩本欽一さん)に芝居の基本を徹底的にたたき込まれ、俳優として飯が食えるようになる。
- 一九八七年
- 十月
- 11日長女誕生。翌日からはスペシャルドラマ『ビッグアップルは眠らない』(フジテレビ)のニューヨークロケで初めての海外へ。神様のおぼしめしに涙する。
- 一九八八年
- 四月
- NHK『連想ゲーム』のレギュラー解答者になる。子供の頃からこの番組のファンで、俳優になる気はなかったが、『連想ゲーム』にだけは出たいと思っていた。念ずれば必ず通じるとの意を強くする。しかし3年後に番組自体が終了。全国のファンから猛烈な抗議が殺到する。
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- 八月
- 6日、30歳になる。仕事がなかなか思うように広がらず、あせりの日々。幾度俳優をやめようと思ったことか。
- 一九八九年
- 四月
- 関西テレビの深夜の報道番組『とぅぎゃざあ』が始まる。司会を初体験。在日韓国朝鮮人問題を真正面から取り上げるなど画期的なトーク番組であった。司会者としては迷惑をかけたが、自分自身にはとてもいい勉強に。感謝。
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- 九月
- 銀座博品館劇場の『空想家族』でデビュー以来初の舞台を踏む。それまでなんとなく舞台を敬遠していたのだが、昔の感覚に目覚め、これ以降、毎年1本のペースで舞台出演を続けている。
- 一九九〇年
- 十一月
- NHKの朝ドラ『京ふたり』に途中から出演。京漬物屋の若社長、山越役。初めて、これは自分にしかできない役だとの自信を持つ。行く先々で、「つけものやの若旦那」と呼ばれる。
- 一九九一年
- 一月
- 『辰巳 郎のくいしん坊!万才』(フジテレビ)がスタート。以後毎月1週間各地へロケ、文字通りおいしい仕事。しかし、30歳を過ぎて中年太りの時期と重なり、ピンチ。
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- 三月
- 初の劇場映画『橋のない川』の撮影が始まる。翌年公開。
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- 四月
- 連続ドラマ『もう誰も愛さない』(フジテレビ)が始まる。非情な悪役がクセになりかけるが、途中で落ちぶれてしまった。
- 一九九二年
- 一月
- 『昔みたい』(フジテレビ)に出演。結婚式当日に交通事故で死亡。その後ずっとグレーのモーニング姿のままユーレイ役で登場。最も好きな作品の一つ。
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- 五月
- 子供の頃からファンだった大河ドラマ『信長-KING OF ZIPANGU-』に出演。浅井長政というとってもいい役に大満足。でも本当は主役をやりたかったのだ。
NHKスペシャル『コロンブス 大航海の時代』。
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- 六月
- 『たけし・逸見の平成教育委員会』(フジテレビ)に初登場。優等生になる。
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- 十一月
- 同番組の隔週のレギュラーになる。
- 一九九三年
- 四月
- 『平成教育委員会』を首席で卒業。在学期間は短かったが中身は非常に濃いものであった。肩の荷がおりる。だがやはり卒業はさびしかった。
本拠をそれまでの大阪からついに東京に移し、初めて家族水入らずで一つ屋根の下に暮らすことになる。新婚気分。『TVジェネレーション』(TBS)がスタート。山田邦子、松村邦洋にひっぱられて初めてバラエティー番組の司会に挑戦。
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- 九月
- 26日長男誕生。新神戸オリエンタル劇場5周年記念公演『迷子の天使たち』の千秋楽が開幕して間もなくであった。おめでたい。
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- 十月
- TBS より浅見光彦シリーズの出演依頼。読者投票により最も浅見光彦役にふさわしい俳優に選ばれたのが発端。『ロマンス』で同時デビューした榎木孝明が映画で演じた役だけに因縁を感じる。とまどいもあったが、やっぱり嬉しい。しかし原作を読んだことがなかったので猛然と読み始める。
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- 十一月
- 俳優生活10周年記念パーティー(フォーシーズンズホテル)を開く。
親友のヴァイオリニスト古澤巌とともにヨーロッパを旅するツアーを開始。第1弾は『辰巳琢郎が語るパリ物語』。このシリーズは5年間続く。
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- 十二月
- 「青春のヒント」を出版。
- 一九九四年
- 一月
- 大阪の劇場「飛天」新春特別公演『恋しぐれ夢見橋』—舞妓ものがたり—に出演。沢口靖子とのりピー、二人の舞妓さんにほれられる京都帝大生の役。2人を目当てに友達が楽屋におしよせる。
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- 四月
- 浅見光彦シリーズ、スタート。第1作は『高千穂伝説殺人事件』。
最初から「はまり役」との声多く、また視聴率も高く、昨年まで続いた人気シリーズに。
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- 十月
- 『ヴァイオリンの森に』(東京芸術劇場)をプロデュース。古澤巌と葉加瀬太郎の最強の共演。
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- 十一月
- 浅見光彦シリーズ第2作『天城峠殺人事件』。
- 一九九五年
- 一月
- NHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』徳川綱教役。西田吉宗の兄はちょっときつかったか…。
17日、大阪のホテルにて大地震を体験。
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- 四月
- 浅見光彦シリーズ第3作『隅田川殺人事件』。3月の撮影は花粉症でつらい。
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- 五月
- NHKドラマ新銀河『愛をみつけた』。大助・花子の大助役。思いがけないキャスティングに最初は大いにとまどったがけっこう楽しめた。
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- 六月
- ベストファーザーイエローリボン賞受賞。いい父親にならねば・・・
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- 七月
- 浅見光彦シリーズ第4作『佐渡伝説殺人事件』。
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- 十月
- 浅見光彦シリーズ第5作『城崎殺人事件』。
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- 十二月
- 東宝のお正月映画『ゴジラVSデストロイア』に主演。ただしもちろん主役はゴジラだった。
- 一九九六年
- 一月
- テレビ朝日『味いちもんめ』。京都篇のレギュラーに。やはり関西弁はやりやすい。
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- 四月
- 浅見光彦シリーズ第6作『小樽殺人事件』。
日本テレビ『ごちそうさま』。2年間続き、約500本司会をつとめる。
フジテレビ『あなたの税みなーる』。こちらは1年間。
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- 九月
- 浅見光彦シリーズ第7作『風葬の城』。
- 一九九七年
- 三月
- 『草迷宮』(彩の国さいたま芸術劇場+シアターコクーン)に出演。蜷川幸雄さんは灰皿を投げなかった。
浅見光彦シリーズ第8作『鳥取雛送り殺人事件』。大雪で砂丘でのロケ中止。
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- 七月
- 『世界ふしぎ発見』(TBS)のレポーターとして地中海を豪華クルーズ。モナコでは船に乗りおくれる。
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- 十月
- 浅見光彦シリーズ第9作『天河伝説殺人事件』。神の存在を感じる場所。体調も最高でまだもう少し光彦役を続けられるかなと自信をもつ。
- 一九九八年
- 二月
- NHK教育『あなたも夢中 レディース囲碁』の司会を担当。囲碁の面白さに目覚める。
長野冬季オリンピック 聖火リレー。佐久市を走る。But 歩くより遅いスピード。
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- 三月
- 『男5人の華麗な企み』をプロデュース。 熊川哲也、佐野成宏、東儀秀樹、古澤巌、辰巳琢郎の5人+小松亮太。これまで演出した舞台のなかで最高の出来。
浅見光彦シリーズ第10作『隠岐伝説殺人事件』。
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- 四月
- 『囲碁講座、梅沢由香里のレッツ碁』にも出演。この番組のおかげで中高年の男性から声がかかるように。
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- 八月
- 6日 40歳の誕生日。20代の頃から40代が勝負だと思っていたのだが、思ったほどの実感はなし。21世紀が2001年から始まるように30代最後の年なのか?とりあえず自分の力でやってみようと独立の準備を始める。
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- 十月
- 浅見光彦シリーズ第11作『蜃気楼』。
NHK趣味悠々 茶の湯『はじめての茶会 客の心得』。こういうちょっと敷居が高いかなと思えるものをわかりやすくプレゼンテーションするのが自分に与えられた使命だと実感。
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- 十一月
- 渋谷天外との10年来の約束で新生松竹新喜劇『味いちもんめ』に特別参加。地方巡業。
- 一九九九年
- 一月
- 淡交社『なごみ』に「多趣済々」を連載。毎月〆切りに追われ四苦八苦。(〜現在)長女がイラストを担当。初めての親子合作。
NHK大河ドラマ『元禄繚乱』。大高源五役で登場。見せ場が少なくやや欲求不満。
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- 四月
- NHKBS2 10周年記念番組『クイズメーカー』で1年間クイズマエストロを務める。素晴らしい番組。復活が待たれる。
13年間近くお世話になった矢島聰子事務所から独立。タクスオフィスを設立。新たなスタートを切る。
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- 六月
- ブルゴーニュ、ポマール村のル・スヴェラン・バイヤージュ・ド・ポマール(ワイン騎士)に任命される。
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- 九月
- 浅見光彦シリーズ第12作『札幌殺人事件』。最もやりたかった作品。ハイビジョンで撮影し、テレビドラマではこれが限界だろうと大満足。
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- 十月
- 「辰巳琢郎と植竹隆政が行く、イタリア食いしん坊な旅」をプロデュース
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- 十二月
- 新生松竹新喜劇『味いちもんめ』大阪・松竹座師走公演
- 二〇〇〇年
- 一月
- 婦人画報に『辰巳 郎のみようみまね』連載開始。
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- 二月
- そろそろ潮時かなと浅見光彦役の引退を表明。原作では永遠の33歳。30代のライフワークのつもりだったが1年半のびてしまった。と同時に40代のライフワークは『加治隆介の議』にしようと決意。
『辰巳 郎のおとなのドリル』(旬報社)出版。
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- 三月
- 浅見光彦シリーズ第13作『須磨明石殺人事件』。20・5%と予定どおりの高視聴率で有終の美を飾らせていただく。
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- 六月
- 『イタリア嬉食満面』(文芸社)出版。
ボルドーのコマンダリー・デュ・ボンタン(ワイン騎士)に任命される。
日動キュリオにて『辰巳琢郎の四半世紀展』開催。